再現デッサン

今回はセットされた静物を前提として再現デッサンについてお話します。

基本的な概念としてデッサンは観察したモノを紙に記したものです。
デッサンの主役はあくまで観察することで、描くことはある意味ただの作業と考えられます。
観たモノと違っているのに自分の描いている絵の中でツジツマを合わせるのはご法度ですよー!
特に形については自分に厳しくするほど上達します。
描いたものと現実とのズレを素直に受け入れることが大切です。

3次元のものを紙の厚さわずか何ミリの世界で表現しないといけない描き手はその時点で制約がかかります。言ってしまえば観たモノをそのまま写し取ることは不可能なわけです。まぶしい光を描きたくても我々は紙の白でなんとかやりくりして描かなくてはいけません。

あたかも現実のような絵でも紙に描いてあるので視覚トリックです。
しかしできるだけ現実に近づけるのがデッサンの楽しさであり、また醍醐味だと思います。

忠実に再現することに制約がかかると気付いたとき私は反対に自由になれた気がしました。
相対的な関係性が合っていればいいのだという結論です。
それからはモチーフ間のトーンのセットが観たモノと合っていればいいと割り切れるようになりました。

観たモノを再現できないと仮定すると絵は全て抽象になりますね。
つまり「デッサンを極める」という考えの方向性が間違っているのかもしれません。

デッサンはその人のフィルター(人生観やあるモノへの考え方など)を通して描かれます。
人の考え方は年齢を重ねる毎に変化しますよね。
そう考えるとデッサンも変わっていくということです。
10年前に描いたモチーフを今描いてみるときっと違う絵になるでしょう。
心が変化していますから。
ひょっとしたら1年前でもかなりの変化を感じるかもしれません。

こうなるともうデッサンにゴール、これで完璧!はないということなります。
なので私的に「デッサンに極める」という言葉には疑問です。

人の心は生ものです。非常に流動的で一ヶ所に留まっていません。
ですから描こうとしたモチーフを観たときに感じたピュアな感覚を大切にしてください。
せっかく心が動いたのに打ち消してしまうのは非常にもったいないです。
その感じたものを大切にしましょう!きっと絵にスピリットが入ります。

どうですか。次の絵はどんどん自由になれる気がしてきませんか。

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