ヌードデッサンについて

私は正統派のアカデミシャン志向(フランスで有名なアカデミック絵画を手本とした教育)なので、ヌードデッサンは避けては通れません。
ヌードデッサンはとても良い練習になります。経験者ならわかると思いますが、形の狂いも残酷なほど紙が示してくれます。あまりの酷さに挫折してしまう人も多いかもしれません。

ヌードデッサンは偏見が強いパートが多いので見えたまま描くことにストレスを感じます。人体に見えないような形(短縮形など)でもただそれを描く冷静さが必要です。腕と心の修練になります。

教室の広告にヌードを載せるのはやめた方がいいと親に言われました。
一般の人には刺激が強すぎると。
私にはその感覚が全くわかりませんでした。エロスとエロは違いますよね。(笑)
実際描いていて変な感情を持ったことはありません。どれだけ美しく描くかだけに集中しているので。
クロッキーを始めた当時、「ヌード上手く描けないとただのスケベに思われそう。」と変な焦りを感じたことがあります。今では懐かしい思い出です。
日本はあまり肌を露出しない文化でした。最近は欧米化で少し状況は違いますが深い部分では残っていると思います。
ヨーロッパではそこまでではないので、友達でもヌードになって描いているそうです。

●美しいヌードを描きたい!
これは形を正確に取るだけでは難しいようです。形が狂っていても美しいヌードを描く人もいます。
要は描き手の心がどれだけ美しいかだと思うのです。腕を上げると同時に自分の美意識も高めなければいけません。
このことに気付いてからは私生活でも自分の美意識を下げるようなものを排除しようと決めました。絵には心の中が出てしまいます。
皆さんも美しいと思う心を大切にしてあげてください。
絵にその心が表現されると思います。

●描いた絵に生命感が出ないんですけど?
人体は一つの塊です。腕や足など個別のパーツの組み合わせだと思われがちですが一つです。
どこかでエネルギーが遮断されるような部分があってはすぐに人形みたいになってしまいます。
脳からの指令が手と足の先まで一気に伝わります。
試しに手首をクルクル回してみてください。肩の方まで筋肉が反応しているはずです。
これらは技術的なことになります。
私が思うもっと大切なことがあります。
それは自分からモデルに迫ることです。
ただ見て描く。これではモデルのソウルが注入されません。形が上手く取れず正確に描くことに執着しがちです。しかし次のステップとしてモデルから何かをとらえようとする姿勢が大切になってきます。
受け身ではなく自分からです。
眼の奥にある何か、そのモデルさんの持つ内面的な美しさ、香りなどを自分から感じにいくイメージです。そして感じたものを絵に閉じ込める。こういったアプローチでより生命感が出てくると思います。

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