自然から学ぶ

最近ブログの更新していませんね。ブログ待ちの方もいるとのことですのであまり放置すると怒られてしまいそうです。ブログでは何かしらの絵をお見せした方がいいかなと思っているのですが1年に数枚しか描かないペースだととても皆さんのお役に立てそうにありません。アラプリマもしくはある程度即興で描ける技術を身に付けておいてよかったなと思います。いつも僕の絵にアドバイスをくれる方からは「サラッと描けるのもいいけどたまにはじっくり描いたら?」と言われることもあります。まぁその辺もケースバイケースで。今は指導のための絵に比重が大きくなっていますが、例えばこの描き方は生徒さんの参考になるかなとか考えながら描いています。どんどんパクッてトライしてもらえると嬉しいです。このブログでもけっこう色々なことを秘訣をお話していますが知っていることは知らない人とも共有したい気持ちがあります。アートする仲間がほしい。もっと面白い絵を見たい。僕の知識をお教えしたところで僕と同じ絵になりませんし、それより本気で絵を描く人と切磋琢磨できたらいいですね。

自分ではそんなに意識していなかったのですが風景画は描かないのですか?と聞かれることはあります。ちらほら描いてますよね。多分ブログでも載せている気が。人物画がイメージが強いのでそうなっているようですがオールラウンダーになりたいのでバランス良くいきたいところです。教室では風景画の需要ももちろんあるので今またイチからやり直しているところです。間違ったことを教えたくないという強迫観念があるものですからけっこう真剣な研究になります。教える立場でなかったら好き勝手描いていればいいわけでこんな研究しなかったなと思うことが多々あります。それがいい。自分の足りないものを誰かのために勉強して共有して自分にも跳ね返ってくる。教室やってなかったら限られた範囲の中で絵を描いていたと思います。
風景画の名著があります。何十年にも渡り画家の卵が読む本ですがそれが今月末に届く予定です。楽しみです^^
僕には憧れの画家さんが何人かいますがその人達がどんな画家を参考にしたのか、どんな本を読んだのか、どこで学んだのかまで調べます。そうすると自分の通るべき道が見えてきますので安心して精進できます。

ちょっと気になったことがありましたのでデッサンしてみました。

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大きな木の幹と根です。ケント紙に鉛筆。
わからないときはデッサンに戻る。知識を得ようとしても本読むのがめんどうなときがあります。そんなときはデッサン。デッサンはいいですよ。観察から様々なことが学べますし、技術も付きます。本読むだけだと一番肝心な腕が磨かれませんから。

風景を学ぶことは素晴らしいことを再確認しました。光の効果を学ぶには完全な一点灯ですしなにしろ自然なのがいい。木を描きながらその枝が作る不規則なラインから構図を勉強できたりします。色についても同じです。自然は偉大でその神秘性すら感じます。ダヴィンチも模範にするのは自然だと言っていますね。

もう1枚サンプルで。

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森の中の湖って感じです。時間がなかったのでなぐり描きの油彩ですがこういうのもありですよね。絵具やキャンバスが勿体ないとか言っている場合じゃなくて感じたままに自由に描く。絵は描いたもん勝ちですね。ある意味写実性(しっかり再現すること)を放棄するとどんどん自由になって無限の可能性が広がります。抽象性を取り入れたり、省略のコツを掴んだり。屋外スケッチで3時間程度を想定すると葉を細かく描いている時間はなさそうです。ではどうするか。習作は練習なので本当に結果はどうでもいいです。でもやっぱりしっかり細かいところまで描きたいという人。心地良く具象を描いていればいいのですが「絵は上手く描かねば」「絵は何が描いてあるか誰が見てもわかるように」「写実性がある方が他人に評価される」「しっかり描かないといけない義務感」などで自分の本当に感じたものを描かないのはつまらないです。多くの人はつまらないとわかっていると思いますがその殻を破けないのかもしれません。破けないのであれば私生活からそういった我慢が生活の中でも優先されているのでは。絵を描くときだけ解放するのはけっこう難しいので日々の生活から自分らしく生きましょう。挨拶と感謝だけしっかりしておけば個性を出してもけっこう世間は許してくれるものです^^

Kenitoは描きたい絵がたくさんありすぎて忙しいのでこの辺で。

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