学ぶことについて

学ぶとは本来自分が知らないことを知りたい、そのスキルを身に付けたいから動き出すものです。
教室ではできるだけたくさんのことをお教えしたいと思っています。
しかし学ぶ側も受け身ではいけないと考えています。

スペイン時代、とある日本人の方が「先生が教えてくれない!」と嘆いていました。
僕にはその意味がわかりません。何かを学びたいなら自分から積極的に聞けばいいと思います。
欧米では日本のように手取り足取り教えてくれません。自分から聞かないと教えてもらえないのです。
前に「あなたが絵に対してどれだけ誠実かで周りが教えてくれる質も内容も変わってくる」と言われたことがあります。
熱心に問いかければ学びたい気持ちは相手に伝わるはずです。
指導者はきっと本気の人には誠意を持って教えてくれると思います。
お金をもらっていてもやはりそこは人と人です。
予想外の目からうろこの情報がもらえるかもしれません。
聞きたいことがあるのに指導されるまで黙って待つ→教えてくれない!
自分から学びましょう!

日本の教育は受け身だと言われます。指導者が一方的に教えます。
私は独学が大好きなので自分であれこれ研究しています。
でも限界があるときは頭下げてでも知ってそうな方に質問します。
学ぶは能動的が理想です。自分の興味を最大限活かす方がたくさんのことを吸収できます。

絵にルールや資格はありません。先生によって言っていることも違うと思います。
正解がないものを指導しているので当たり前ですよね。
怠慢な指導はよくありませんが、その一語一句を鵜呑みにすることも違うと思います。
「あの先生がこう言っていたから」などよく聞きますが、それをチョイスしたのは自分です。
その指導を受け取るも切るもキャンセルするも無視するも選択できたわけですよね。
大切なことは指導されたことを考え、実際紙に描いて試す、そして自分なりの答えを模索する。
この自分で考えて実際紙に描くことがミソです。
試すことでそこから目的以外の色々なことが学べます。私はこれを「錬金術師からのプレゼント」と呼んでいます。副産物ですね。
絵は知識や理論では突破できないことが多々あります。
そこで底力を発揮する人にはこの見えない知識やスキルが豊富です。

武道の世界に守破離(しゅはり)という言葉があります。
師にひたすら学び、その学んだことから抜け出し、自分の世界を構築するというような意味です。
学ぶことの理想を示しているような言葉です。

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